第1章「心の休ませ方」
【1】いい人は危ない
「いい人」「純粋な人」「まじめな人」・・・むかしはホメ言葉に使われていました。 そういう人は、結婚の相手や出世の対象になる人だったかも・・ でも、それは一昔前までの話。 今は少しニュアンスが変わってきています。 「いい人」「純粋な人」「まじめな人」は危険性を秘めているとさえいえます。 良質の家庭教育を受け、ほめられ続けながら育った人が特に危ない。 彼らはIQが高く、勉強もよくできます。 でも、いくら勉強ができ、かつ、素直でまじめでも、成人して社会に出れば、いつか自分の力ではどうにもならない限界にぶつかることになります。 純粋培養で育てられた人、いい人、純粋な人、まじめな人でありすぎるほど、自分を環境に合わせ変えることができません。 このため、心を壊してしまうのです。 子どもの頃、学生の頃は優秀でも、一生、優秀であり続ける保証はどこにもありません。 「ただの人」、あるいは、ただどころか、「おバカさん」であったことに気づき、笑い飛ばしてしまえばどうということはないのですが、プライドが捨てきれずにうつになる人がいます。 あるいは、妻に暴力をふるったり、出社拒否症になったり、「これまでのまじめさは何だったの?」と言いたくなるくらい豹変する人もいます。 子供の頃、まじめでも勉強ができない子だったらまだ救いがあります。 成績が悪いと先生から注意され、親から怒られるので、ストレスへの耐性も備わっているはずです。 勉強ができなくてもスポーツができるからいいじゃんというふうに多様性も身につけることができます。 問題が発生したときに、いろいろな対応ができるようになっているはずです。 しぶといほうがよい。 まじめで勉強ができると周りからほめられ、自分でもそう思いこんで、成績もよく、いい大学を出て、そのまま大人に成長してしまったら始末が悪い。 ある日突然、壁にぶつかり、逃げ場を失い、大変なことになります。 kougaiの職場でもいい大学を出て、仕事と学校での試験の区別がつかず、まじめに「解」を求めすぎておかしくなった人がいます。 さて、学校の成績はともかく、「いい人」「純粋な人」「まじめな人」の心の奥底には、誰からも好かれたいという思いがあります。 だから、そういうキャラをずっと無意識に演じ続けてきたのです。 そうなると修正が難しくなります。 まだ、壁にぶつかっていない人は早く気づいていほしいと思います。 「いい人」を演じ続けると、いつか自分を見失ってしまいます。 人は人。 私は私。 私は、私に正直になりましょう。 自分のペースで生きるようにしましょう。 |
![]() |
【2】あなたのことが好きではない
![]() |
今日のネタ本に使わせていただいている『なぜ「いい人」は心を病むのか』の著者町沢静夫さんは精神科医で、東大付属病院での勤務時代は精神病患者の治療にも携わっていた方です。 当時、医者でありながらどうしても好きになれない患者がいたそうです。 人間の心の底には好き嫌いという感覚があり、そう簡単には変えられないものではありません。 町沢さんは、その感情は相手に伝えた方がよいときもあると考えています。 たいていの場合、相手が好きになれない場合、相手も同様に、自分のことを好いてくれないものです。 正直に「あなたが好きでない」言った方がいい場合があるそうです。 結構、相手からも実は自分もあなたのことを好きでないと返してくれるそうです。 人間には限界があるということをお互いが知って、共感しあえる瞬間なんだそうです。 人間、限界を知ることは、ある種の優しさを生みます。 ほんとうは、あなたのことを好きになれないんだよという本音が、逆説的にやさしさにつながることだってあるそうです。 あなたの職場にそういう人いませんか。 思い切って打ち明けてみてはどうでしょう。 町沢さんは患者から「先生、私のこと好きじゃないんでしょ」と聞かれたら、「そう言われるとそういうところもある」と正直に答えるようにしていたそうです。 無理して好きになろうとか、好かれようと思って患者に接していたら、それは「偽善」になり、治療効果はまったく現れないと町沢さんは信じているからです。 |
【3】どうしても好きになれないとき
| どうしても好きになれない上司はどこにでもいるものです。 上司にだって好きになれない部下はいるものです。 そこは、大人の世界だから口に出して好きとか嫌いということはないでしょう。 生産性を考えると、ずっと本音を隠し続けた方がよい場合もあるでしょう。 いずれ、人事異動や退職で、いなくなってしまう人です。 ところが、教育者や精神科医になるとそうはいきません。 職業上、本音が見破られることが多いからです。 時と場合によっては、本音をぶつけあった方がよいときもあります。 いい人を演じ続けようとすると、生徒や患者は、偽善を感じ取って離れてしまうに違いないからです。 これが親子ならどうでしょう。 本音を隠し、建前で接してしまう例がとくに母子関係に多いといわれています。 母親がほんとうは子供を嫌っているのに、親であるがゆえにそれを隠してしまうケースです。 「お母さんは本当は私のことが嫌いなんでしょう」 「自分で産んだ子を嫌いないはずがないでしょ!」 どこにでもありそうな会話です。 ところが、本音を隠し続けて、家庭内暴力などに発展する例は後を絶ちません。 むしろ、自分のほんとうの感情なり感覚を正直に出して、それでもなおかつ好きになろうと努力しいることをわかってもらったほうがよい場合があります。 離婚にいたる夫と妻の関係も、お互いにいい夫婦であり続けようと無理を重ねて破綻に至るケースが多いのではないでしょうか。 kougaiの知っている女性で、子どもの独立と同時に離婚を決意している方がいらっしゃいます。 子供が成長し親元を離れたり、夫が定年退職するまで、真実はずっと隠蔽されたままです。 いい夫、いい妻を演じ続け、築きあげた虚構がいつか崩れてしまうのです。 他者は、好きなところあるし、嫌いなところあるのは当然です。 たとえ親子の関係であろうと同じです。 恋人や、夫婦ならなおさらです。 好きなところも、嫌いなところも認めなければいけないのではないでしょうか。 心の光と影の両面をみつめなければ永遠に自己を確立することはできないと思います。 |
![]() |
![]() |
第2章「心の傷の癒し方」へ |