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松下幸之助は、戦後混沌とした時代に、人間とは、社会とは、どうあるべきかを探求するために、PHP研究所を創設した。
そのPHP研究所顧問の谷口全平氏は、松下電器からPHP総合研究所に出向し月刊「PHP」「Voice」などの編集に携わってきた。
谷口氏は、PHP研究所で、松下幸之助発言集(全45巻)の編集や、松下資料館で総合プロデュースなどにも手がけている。
松下幸之助が94才に亡くなるまで、残した講演記録は3000時間。
谷口氏は、松下の経営観、人間観、宇宙観の研究を続けた。
谷口氏によると、松下の言動はたえず前向きで、自らも成長し、世の中に貢献し、社会をより豊かにしていくという考え方に貫かれていたそうだ。
「夢ほどすばらしいものはない」
松下は若い社員から「趣味は何ですか」と尋ねられたとき、「歌もよう歌わん。酒もよう飲まん。趣味乏しきほうやな。まあ、夢でも見るくらいや」と答えた。
松下の仕事は、いっさい夢から出ていた。
松下の人生は、次々と夢を描き、それを追い求め続けた軌跡であった。
大阪電灯の配線工を辞め、独立して、こんなのがあったら便利やなという発想に基づき、二股ソケットや長時間点灯する画期的な電池式自転車ランプなど次から次に考案した。
松下電器を創業して十数年がたったある日、道ばたで1人の男が他人の家の水道栓をひねって、美味しそうに水をごくごく飲んでいる。
松下はそれを見て思った。
水だってタダではないはずだ。
それなのに、誰も水を飲む男をとがめようとはしない。
なぜなら、水の価格があまりにも安いからだ。
もし、この世のあらゆる物資が、水みたいに安くなったら、この世から貧はなくなるではないか。
産業人であるの己の使命は、水道の水のごとく物資をたくさんつくって、水のように安くして、富を増大させなければいけない。
松下幸之助の有名な「水道哲学」である。
84才になった松下は、私財70億円を投じて「松下政経塾」を設立。
友人が松下にそんな年になって塾を始めるなんて反対した。
「今から塾をつくっても、君が寿命で死んでしまったらどうするんだ」
松下は、自分が死んでも必ずあとを継いでやってくれる人がいると言って計画を中止しようとはしなかった。
「心に描かないものは絶対生まれない。しかし、心に描いたものは、理にかなっていさえすれば、やり方いかんで可能になる」
誰だって、常に最善と思ってやっている。
しかし、お客さんの側からいわせると、まだまだ考えてほしい、こうあってほしいというところもあるはずだ。
最善の上にさらに最善がある。
限りなく上には上がある。
そういった訴えを聞くたびに素直に聞いて、検討していくことは、永遠に繰り返されなければいけない。
松下幸之助は、事業でよい製品を開発したときは、心から喜び、そして労をねぎらう。
さらに、次のようにつけ加える。
「今度は、この新製品をライバル会社が発売したと考えて、さっそくこれ以上のいいものを開発してほしい」
松下は市場の原理をよく知っていた。
ライバルは、さらによいものをつくって市場に参入してくる。
その競争に打ち勝つためには、さらに向上させることが必要であることを。
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